仙台高等裁判所 昭和33年(ネ)137号 判決 1959年6月17日
控訴人 佐藤勇
被控訴人 山内亮
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人は控訴人に対し、八二三、六二五円及びこれに対する昭和三一年一〇月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、四八八、六二五円及びこれに対する昭和三一年一〇月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却及び請求拡張部分につき請求棄却の判決を求めた。
控訴代理人は請求の原因として次のとおり述べた。
控訴人は昭和二九年九月二〇日被控訴人の代理人訴外山内進との間に、控訴人所有の青三-三六八号一九四九年型ビユイツク乗用車につき、返還期限を同年一一月五日とし、その使用目的を八戸市及びその周辺地域における選挙運動の連絡用務にのみ限定し、かつ右自動車は外国製高級車であることにかんがみ、その取扱には特に慎重を期することの約定で使用貸借契約を締結し、即日右自動車を被控訴人に引き渡した。右引渡当時における右自動車の価格は、七五〇、〇〇〇円で、これに附属したラジオ、電気時計、予備タイヤ、修理工具一式を加えるとその総価格は優に八〇〇、〇〇〇円を下らなかつた。しかるに、被控訴人は約定の返還期限を経過しても本件自動車を返還しなかつたのみならず、当初の約定に反し、青森県下到るところの悪路を、しかも極めて乱暴に運転し、あまつさえ列車との衝突事故を引き起す始末であり、そのうえ被控訴人の右自動車に対する管理極めて粗漏で附属品全部を滅失したばかりか、四年有余にわたりこれを屋外に放置し、風雨に曝した結果、本件自動車の破損甚しく、乗用車としての機能を全く喪失し、現在これを修理してもとうてい原状に回復することは不可能であつて、その価格は一塊の鉄屑としてせいぜい二八、〇〇〇円を超えない状態である。もし被控訴人が当初の約定どおり、昭和二九年一一月五日限り右自動車を返還したとすれば、年間の自然損粍率を一三%として、同年九月二〇日から一一月五日までの四七日間の使用による損粍に伴う価格減少分を差引いても、当時優に七八六、六〇五円の価格を有するものであつた。それゆえ、控訴人が今日本件自動車の返還を受けてもその価格は僅かに二八、〇〇〇円にすぎないから、その差額七五八、六〇五円は、被控訴人の債務不履行により控訴人の被つた損害にほかならない。なおまた、控訴人は昭和二九年一二月被控訴人の代理人山内進に対し、被控訴人が本件自動車を占有している期間中の自動車税は被控訴人において負担するよう申し入れたところ、被控訴人はこれを承諾したにかかわらず、昭和三〇年度分五一、〇〇〇円及び昭和三一年度上半期分一四、〇二〇円合計六五、〇二〇円を支払わないため、やむなく控訴人においてこれを支払つた。よつて、被控訴人は控訴人に対し、本件自動車を返還し、かつ前記損害金七五八、六〇五円及び自動車税六五、〇二〇円この合計八二三、六二五円並びにこれに対する遅延損害金を支払う義務があるところ、控訴人は原審において、右自動車の返還と損害金のうち六九〇、〇〇〇円及び自動車税六五、〇二〇円合計七五五、〇二〇円の支払を求めたが、自動車の返還と右損害金のうち三三五、〇〇〇円の部分につき請求を認容されたので、当審において、その残三五五、〇〇〇円及び自動車税六五、〇二〇円合計四二〇、〇二〇円の支払を求めるとともに、損害金の部分につき請求を拡張して、七五八、六〇五円と六九〇、〇〇〇円との差額六八、六〇五円を加え、以上合計四八八、六二五円並びにこれに対する本訴状送達の翌日である昭和三一年一〇月三日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。
以上のとおり述べ、被控訴人の後記受領遅滞の抗弁事実を否認し、
被控訴代理人は、控訴人の主張事実中、本件自動車が控訴人の所有であること及び被控訴人の二男山内進が控訴人との間にその主張の日時右自動車につき使用貸借契約を締結し、その引渡を受けて使用したことは認めるが、右自動車の価格は不知、控訴人その余の主張事実は否認する。右使用貸借はすべて進がしたことで、被控訴人の全く関知しないところである。もとより、被控訴人は進に対し右使用貸借の締結につき代理権を与えたことはない。仮に控訴人と被控訴人との間に控訴人主張の使用貸借が成立したとしても、被控訴人が控訴人に対し本件自動車を返還すべく現実の提供をしたにかかわらず、控訴人は故なくこれが受領を拒絶したのであるから、控訴人に受領遅滞の責こそあれ、被控訴人に履行遅滞の責任はない。なおまた仮に、被控訴人に損害賠償義務があるとしても、本件自動車はもともと中古品で、控訴人の主張するような価格を有していなかつたのであるから、控訴人の本訴請求は失当であると述べ、
証拠として、控訴代理人は、甲第一号証、第二号証の一ないし四、第三号証を提出し、原審証人高津一元、日向金次郎、大村甚松、藤田由蔵の各証言、原審及び当審での控訴本人尋問の結果、原審での鑑定人遠藤隆一、谷井義次、藤田由蔵、当審での鑑定人野藤武俊の各鑑定の結果を援用し、被控訴代理人は、原審証人松倉春翁、遠藤隆一、中里博、原審及び当審証人山内進、当審証人長谷川哲夫、工藤定雄の各証言、原審及び当審での被控訴本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立を認めると述べた。
理由
本件自動車が控訴人の所有であるところ、被控訴人の二男山内進が昭和二九年九月二〇日控訴人から右自動車を無償で借り受けて使用したことは当事者間に争がない。控訴人は、右自動車に関する使用貸借は被控訴人の代理人である進との間に締結したものであると主張するに対し、被控訴人は、進に対しかかる代理権を与えたことはなく、右は被控訴人の全く関知しないところであると抗争するので、まずこの点について判断する。原審証人山内進(ただし後記措信しない部分を除く)、大村甚松の各証言、原審及び当審での控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人は昭和二九年一一月五日施行の青森県知事選挙に立候補し、青森市に選挙事務所を、八戸市に選挙運動員の連絡事務所を設け、進らがその運動員として選挙運動に従事していたところ、控訴人はかねて大村甚松から本件自動車を被控訴人の選挙運動用に提供方勧められていたので、同年九月二〇日被控訴人を応援する趣旨で八戸市の事務所を訪れ被控訴人に対し、本件自動車を選挙運動に使用してくれと申入れたところ、被控訴人はこれを快諾し、契約に関することは一切進に委任するから、進と話合のうえ契約を締結するよう申し向けたので、同日控訴人は被控訴人の代理人である進との間に、本件自動車につき返還期限を投票日たる同年一一月五日とし、その間無償でこれを使用する旨の使用貸借契約を締結したこと、そしてその際、控訴人は、本件自動車が外国製の高級乗用車であるから、可及的に山間部落への乗入れを避け、主として道路の良い八戸市周辺の選挙運動だけに使用すべく、もし故障を生じたときは、被控訴人において修理するよう申入れたに対し、進はこれを了承したこと、以上の事実を認めるに十分であり、右認定に反する原審及び当審での証人山内進の証言部分、被控訴本人尋問の結果は、前記各証拠に対比し、たやすく措信し難い。
してみれば、被控訴人は前示使用貸借の終了により、控訴人に対し本件自動車を返還すべき義務のあることはもちろんであるところ、原審及び当審での控訴人の供述によれば、被控訴人はいまだに控訴人に対し右自動車を返還していないことが明らかであるから、被控訴人は右債務不履行により控訴人の被つた損害を賠償する義務を免れないものといわなければならない。
この点に関し、被控訴人は、控訴人に対し本件自動車を返還すべく現実の提供をしたにかかわらず、控訴人は故なくこれが受領を拒絶したから、控訴人に受領遅滞の責こそあれ、被控訴人に遅行遅滞の責任はなく、したがつて損害賠償義務がない旨抗争するので、次にこの点について判断する。原審での証人山内進の証言(ただし、後記措信しない部分を除く)及び控訴人の供述によれば、進が被控訴人の代理人として控訴人に対し本件自動車の返還につき口頭の提供をしたのは、約定期限を経過すること約五ケ月後の昭和三〇年三月ごろであり、それまでに被控訴人において右自動車につき一応の修理を施したのであつたが完全ではなく、とうてい乗用車としての通常の性能を回復するに至らず(それは、後記認定のとおり、進らの粗暴な運転によるほか、列車との接触事故が原因である。)、普通の場合、乗用車にあつては有効期間一ケ年の検査証の交付を受けるのに、本件自動車については僅か六ケ月のそれであつたので、控訴人はこの程度の応急修理ではとうてい満足できないとしてその受領を拒絶し、より完全な修理を要求したところ、進は右申出を承諾したにかかわらずこれを実行しなかつた事実が認められ、右認定に反する前記証人山内進の証言部分は措信できない。
もとより、使用貸借における借主は、適法な使用収益によつてその目的物が損傷した場合に、それが使用に伴う自然の損傷である限り、使用貸借の終了とともにそのままこれを返還すれば足りるわけであるけれども、少くとも目的物の通常の必要費を負担し、これによつて損傷を防止する義務があるのであるから、それが故障(目的物の自然の損傷ということはできない)を生じた場合には、特約なき限り、借主の当然の義務として、その目的物が有する通常の性能を回復する程度にこれを修理したうえで貸主に返還すべきものであると解すべきところ、前認定のとおり、本件自動車に関する使用貸借を締結するに当り、これに故障を生じたときは、被控訴人において修理すべき旨を特約したのであり、そしてそれは、借受け当時に比しさして遜色のない程度に修理して返還する趣旨であつたことが推認されるから被控訴人が右程度に修理したうえでなければ、債務の本旨に従つた履行の提供ということができないのであり、したがつて控訴人が修理の不完全であることを理由として本件自動車の受領を拒絶したとしても、受領遅滞ということができない。それゆえ、この点に関する被控訴人の抗弁は失当であり、もとより採用できない。
よつて次に損害賠償額について判断する。成立に争のない甲第二号証の三、四、原審での証人日向金次郎、高津一元の各証言、控訴本人尋問の結果によれば、本件自動車は一九四九年型ジユイツクの中古乗用車で、控訴人が昭和二九年二月ごろ進駐軍の米人将校から一、五〇〇ドル(邦貨にして五四〇、〇〇〇円)で買い受けたものであり、これには附属備品として、ラジオ、電気時計、予備タイヤ、工具一式が備付けてあつたこと、その際控訴人は関税一五三、四八〇円及び物品税一六一、一六〇円を支払つたので、本件自動車を入手するについては以上合計八五四、六四〇円を支出したこと、控訴人が右自動車を買受け後車体検査や整備のために相当日数を要し、実際にその使用を始めたのは同年四月からであるが、もともと他に転売する目的で買い受けたのであつたから、平素その取扱に注意し、手入も怠らず、同年九月二〇日被控訴人にこれを引渡すまでの間約一、〇〇〇キロメートルを走行したにすぎなく、また、その間別段の故障もなかつたので、中古乗用車としては普通程度の性能を有していたこと、以上の事実が認められる。右認定に反する原審証人松倉春翁、中里博、山内進の各証言は措信しない。そして当審での鑑定人野藤武俊の鑑定の結果によれば、三年以上使用した自家用中古乗用車の年間損耗率は一二%であることが認められるので、控訴人が本件自動車を買い受けるに当り支出した八五四、六四〇円(他に特段の事由の認められない本件においては、これをもつて右自動車の適正価格というべきである。)から、同年四月一日以降同年九月一九日までの一七二日間の使用に伴う右割合による損耗価格四八、三二八円を差引けば、引渡当時における本件自動車の価格は八〇六、三一二円となるところ、控訴人はその価格を八〇〇、〇〇〇円と主張し、これを基礎に損害金の請求をしているので、以下八〇〇、〇〇〇円を基礎として計算することとする。ところで、前示使用貸借の締結に当り、本件自動車の使用範囲を八戸市周辺に限定したことは前認定のとおりであるが、前記鑑定の結果によると、選挙運動という特異な状態のもとで使用した場合の中古乗用車の年間損耗率は一三%であると認められるので、昭和二九年九月二〇日から返還期限たる同年一一月五日までの四七日間の使用により当然減少する価格は、一三、三九二円であるから、これを八〇〇、〇〇〇円から差引けば、七八六、六〇八円となるわけで、これすなわち、もし被控訴人が約定どおり八戸市周辺を適正な用法に従つて使用し、かつ約定期限に返還した場合において有すべき本件自動車の価格であるといわなければならない。
ところで、前記証人松倉春翁、大村甚松の各証言、控訴本人の供述、鑑定人野藤武俊の鑑定の結果によれば、被控訴人の選挙運動期間中、主として本件自動車を運転した者は山内進と松倉春翁であつたが、同戸市周辺のみならず、同市から野辺地町を経て青森市に至る間を走行し、その間には相当の悪路もあり、加えて小中野駅附近で列車との接触事故を引き起したこともあつて、その運転は相当に乱暴であつたばかりでなく、保管にも十分な注意を用いなかつたので、備付のラジオを盗まれたこともあり、そのうえ、選挙運動終了後、本件自動車の返還をめぐつて控訴人との間にいざこざがあつたとはいえ、その間の管理が極めて悪く、長期間にわたつて屋外に放置し、風雨に曝して顧みなかつたため、備品も悉く滅失し、現在では最早乗用車としての機能を全く失い、一塊の鉄屑としてせいぜい二八、〇〇〇円程度の価格を有するにすぎない事実が認められる。右認定に反する原審での鑑定人遠藤隆一、谷井義次、藤田由蔵の各鑑定の結果は採用しない。
してみれば、被控訴人が約定どおり本件自動車を返還すれば、その当時において保有し得べかりしその価格七八六、六〇八円から現存価格二八、〇〇〇円を差引いた七五八、六〇八円が、すなわち被控訴人の債務不履行により控訴人の被つた損害というべく、被控訴人はこれを賠償する義務があること明らかである。
次に、控訴人の自動車税六五、〇二〇円相当金員の支払を求める請求について判断するに、成立に争のない甲第三号証、原審及び当審での証人山内進の証言(ただし後記措信しない部分を除く)控訴本人尋問の結果によれば、控訴人が被控訴人の代理人進に対し、昭和二九年一二月以降しばしば本件自動車の返還を請求したが埓が明かなかつたので、昭和三〇年五月ごろ、せめて昭和三〇年度分五一、〇〇〇円、昭和三一年度上半期分一四、〇二〇円合計六五、〇二〇円の自動車税を被控訴人において負担するよう申し入れたところ、被控訴人はこれを承諾したにかかわらず、その支払をしなかつたので、控訴人において右自動車税を支払つた事実が認められ、右認定に反する前記証人山内進の証言部分はにはかに措信し難い。それならば、被控訴人は控訴人に対し、前示損害金及び自動車税相当の金員合計八二三、六二八円のうち控訴人が本訴で請求する八二三、六二五円並びにこれに対する本訴状送達の翌日であること本件記録上明らかな昭和三一年一〇月三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものといわなければならない。
してみれば、控訴人の本訴請求はすべて正当としてこれを認容すべきものである。右と異る原判決は一部不当であるから、これを右のとおり変更すべきものとし、なお仮執行の宣言は相当でないからこれを附さないこととし、民訴法三八六条、九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 籠倉正治 岡本二郎 佐藤幸太郎)